巨大地震で唯一使えた通信、WiMAX
2011年3月11日。
あなたはどこで何をしていましたか?
私はとある場所(神奈川県)で、映画を観ていました。
大きな揺れが起こり、あと10分を残して上映は中止。
誘導されて避難通路から劇場の外に出て、
映画館の最寄り駅に行っても駅のシャッターが下りたまま。
当時持っていたドコモのFOMA端末(いわゆる「ガラケー」です)は、通話もネット通信も不可能でした。
巨大な地震が起こった後、多くの人たちが安否の確認や情報を得ようとして一斉に携帯を手に取りネットにアクセスしたために、
震源地周辺だけではなく、通信の途絶が都心部を含めて広範囲で起こりました。
人々が一斉に発信した通信量は、通常の50~60倍にも達していたそうです。
回線がパンク寸前になったため、NTTドコモやauのKDDI、ソフトバンクモバイルは音声通話も含めて最大で95%もの規制をかけました。
巨大地震や大災害が起こった時、まず人々が手にするのは携帯電話だということが、図らずも浮き彫りにされたのです。
そのような、ドコモに限らずauやソフトバンクも通信不能という同じ状況の中、唯一つながっていたのが、WiMAXだったんです。
こちらのブログで当時の詳細が残されています。
少し長いのですが、そのまま引用します。
緊急事態!311東北地方太平洋沖地震、多くの方々にお見舞い申し上げます。
2011-03-12 03:00:45
3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするM8.8という最大規模の大地震があり、宮城県栗原市では震度7を観測しました。
ここ東京でもいまだかつて体験したことのない揺れを感じました。余震がいつまでも続いていたのでただ事ではないと思いましたが、あれから12時間経って、次々と被害の状況が報道されています。恐ろしい震災となりました。
3月11日の午後は普段いる東京・御茶ノ水から外勤先の足立区のある施設に移動し、2時から鉄筋コンクリート製の建物の1階で仕事をしていました。
午後3時少し前、船酔いをしそうなひどい横揺れが数分間続き、デスクが大きく揺れ、使用していたノートパソコンが点滅しました。
ノートパソコンのWiMAXをオンにしてインターネットに接続、Yahoo!地震情報で震源地が三陸沖、最大の震度は宮城県の震度7とわかり、その被害はいかばかりかと胸を痛めました。
ちなみに震源地から数百㎞も離れている東京・足立区でも震度5強でした。もの凄いパワーがプレートに生じているのがわかりました。
携帯電話も固定電話も繋がらず、Docomoのi-modeも使用不能。
いつも持ち歩いているPamasonicレッツノートのWiMAXでインターネットに接続できたのはラッキーでした。
まずは夫の職場に連絡しようとダメもとで、職場のWEBメールを通じて夫の携帯電話にメールしてみると、なんとすぐ返信が。夫の携帯電話はDocomoのFOMAではなく、もうすぐ廃止されるmovaだったので繋がったようです。
いばりこぶた「地震;職場、大変でしょ。大丈夫?」
いばりこぶたの夫「Re>地震;オレは大丈夫」
いばりこぶた 「Re:Re>地震;気をつけて帰ってね」
いばりこぶたの夫「電車停まっているけれど移動は大丈夫;どうやって何時に家に帰る予定ですか」
いばりこぶた 「タクシーで帰ります;**でのミーティングは中止になったので帰ります」
いばりこぶたの夫「今、家に居る;マンション、家の中は変わりない」夫はここ北区から職場の練馬区へ自転車で出勤していたため、東京の交通網が麻痺していても影響を受けず、わたしも足立区からタクシーで環状7号線を使って無事帰宅できました。
家でふたり、夕食を共に出来たのはほんとうに奇跡的でした。それにしても新宿に住む両親と、連絡が取れず心配です。また御茶ノ水にいた職場の同僚たちが無事家に帰れたかしらと、とっても心配です。
午前3時から4時にかけて、今度は新潟県で大きな地震がありました。夜が明けるとまた、被害状況が明らかになるかと思うと悲しい気持ちになります。どうか、多くの方々が無事でありますよう、心から祈らずにはいられません。
出典:http://ameblo.jp/haughtypig/entry-10828196613.html
ネット通信ができれば、このような安否の確認も即座にできるわけです。
状況もすぐに把握することができます。
次のページに続きます。
「巨大地震はいつ起こってもおかしくない」